鬼ノ城

別名- 付近住所 岡山県総社市奥坂 現在-
2009/4/11 碑・案内板アリ 日本城郭大系


 鬼ノ城は標高約400mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城です。吉備高原の南端に位置しており、眼下の惣社平野には集落が営まれ官衙(役所)、寺院などが造営されました。また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できます。
 鬼ノ城の山容は擂鉢を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっていますが、山の8〜9合目より以下は著しく傾斜しています。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいます。
 城壁は版築工法により築かれた土塁が主体をなし、城門が四ヶ所、排水機能をもつ水門が六ヶ所、また石垣などにより構成されています。
 特に復元整備を実施している角楼から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻な築城技術を窺うことができます。
 城内はおよそ30haという広大な面積であり、これまでに礎石建物跡、溜井(水汲場)、土取場などが見つかっていますが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待されます。
 築城の時期については諸説ありますが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江の海戦(663年)において大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられています。鬼ノ城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡と言えます。